インド駐在生活！

辞令一本で任地に赴かされる海外駐在員。行き先はインド。物わかりのいい「国際理解」を蹴飛ばす厳しい現実を前にして、日本的常識・価値観が日々試練にさらされる。妻として母としての涙ぐましい奮闘努力をコミカルに描く。

目次

一　青天の霹靂

二　Grand Paradi

三　No Problem

四　駐在員家庭の台所事情

五　駐在員マダム

六　忘れ得ぬ人

終章　遠く離れて

おわりに

　　　はじめに

「インドを訪れると、その魅力にとりつかれ何度も足を運ぶ人と、大嫌いになる人とに二分される」――　こんな表現を耳にしたことはないだろうか。
　インドに暮らしてみて、インドとは「くさや」みたいなものだと私は思った。「くさや」とは、あの独特の強い匂いのする魚の干物のことだ。人によっては、ほかには例えようもない「くさや」の強烈な匂いがたまらなく大好きで病みつきになるし、一方その匂いをくさい、と感じてしまう人は、絶対に食べられない。「好きでも嫌いでもない」という中途半端がなく、「好き」か「嫌い」の二つに一つ。
　インドの真の姿を知れば知るほどのめり込んでいく人がいる。でも反対に「くさや」が嫌いな人と同じで、ちょっと口にし「これは駄目だ」となったら、もう体全体で拒否反応を示してしまう人も確かに存在するのである。どうして嫌なのか・・・生理的に受け付けられない、そう答えるのが一番近い気がする。
　不幸なことに、夫と私は、紛れもなく後者の人間だった。これが本当にただの「くさや」だったら、「すいません。私たち、くさやは苦手なんです。その代わりに普通の干物で許してください」で終わったはずだ。しかし、実際問題はそう簡単ではなかった。会社の命により、私たち家族は三年四ヶ月「インドくさや」をいやでも毎日食べなくてはいけない目にあったのだ。
　最初は恐る恐る箸の先で突っつきまわし、持て余し、鼻先まで運んでは「やっぱり食べられない」と投げ出してばかり。でも毎日お目に掛かるうちに、その強烈な匂いにも慣れが生じ、ある日思い切って口に含んでみたら、意外にも乙な味がすることに気付いた・・・。
「何となくおいしいかも？」という境地に達したかと思うと、心身ともに低調気味のときはまた受け付けられなくなる。その繰り返しだった。
　「どうしてこんなものを食べなければいけないのだろう」と疑問を抱きながらも「せっかく食卓に出されたのだから、口にしなければもったいない」と考え直す。そして三年四ヶ月後には、おいしいのかまずいのか、余り深く考えたり味わったりせずに、とにかく何とか「くさや」一枚平らげる事ができたのだった。
　インドを「くさや」に例えること自体、ものすごい偏見なのだろう。でも、私たちなりに精一杯食べる努力をしてきたのだから、大目に見て頂きたい。そして、そういう私たちの目に映ったインドは、少し偏った姿なのかもしれないが、こちらの方もお許し頂きたい。
　ここでは、インドに最も適応しにくいタイプの人間がどんな風にこの国と相対し、何を見て、何を感じて暮らしていたのか、そういう視点でお付き合いして頂ければと思う。