タヒチ夢物語


　

　　　　プロローグ

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　そもそも「夢みたいな話」なんて、そう簡単にあるはずがない。まあ、かりに百歩譲って、たとえあったとしても、そういうウマイ話にはどこかにきっと落とし穴があるに違いない――。
　と、なぜかこれまで玉の輿的な生き方とは全く縁のなかった私は固く信じて疑わなかった。そして、もし、あの日がなければこれから先もずっと、そう、おそらく一生信じ続けていただろう。　あの日。それは今まで平和そのものだった私たち夫婦の八ケ岳での暮らしを激変させてしまうほど、衝撃的な出来事であった。

　一九八九年。六月も終りのやけにムシ暑いある朝。あたりは観光シーズン直前のピーンと張りつめた無気味な静寂に包まれ、時折、遠くから聞こえる草刈機のせわしないモーターの唸り声だけがわずかに夏の訪れを告げていた。
「ピンポーン、ピンポーン……」
　突然、玄関のチャイムが家中に鳴り響く。
　夏場に備えて体力温存とばかり朝寝を決めこむ私たちには、何とも耳障りな音だ。
「うるさいなァーー。誰だろうこんなに朝早くから……」
　実際にはさほど早くない時間なのに、予期せぬ音に安眠を妨害された私は不機嫌そのもの。ブツブツ文句を言いながらも低血圧をいいことに一向に起きる気配はない。仕方なく隣で寝ている健太（共同経営者兼夫）があわててパシャマのまま飛び出していく。と思うや否や彼は再びベッドへともぐり込む。この間わずか一分。ナンダ、何でもなかったのか。不意の来客かと内心心配の私も彼の様子にすっかり安心して、いつしか夢の続きへとまどろむのだった。
　気がつくとすでにお昼近い。今日も寝すごしてしまったと多少後悔するものの、あと二週間もすれば夏休み。二カ月間働きヅメの地獄の日々が始まるのだ。今のうちに寝過ぎてもバチは当たるまいなどと勝手に正当化してしまう。こんないい加減さがマカリ通るのだから、脱サラは一度やったらヤメラレナイ？
　軽いブランチの後は、いつものコーヒータイムとシャレこむ。窓からは白いテラス越しに今日も南アルプスの峰々が美しい。山を見て美しいと感じるかどうかが田舎暮らしの条件だと確信する私は、やはりこんな自然の大パノラマと対面でお茶が楽しめるのだから田舎暮らしも悪くはないな、とひとり悦に入る。
　フト、早朝の出来事が気にかかる。
「ねえ、朝のチャイム何だったの？」
「アッ、すっかり忘れてた。速達だよ。ホラ例のＦＭからサァ」
　彼はどこからか、やけに大きく、その割には薄っぺらい封筒を持ってきた。もちろん未開封のままだ。このＦＭ、開局早々から選曲のよさと横文字ＯＮＬＹの内容で若者に超人気の局で、私たちも大のお気に入り。東京ネットなのになぜかよく聞こえるので、いつも得した気分だ。田舎にいながらリアルタイムで都会の情報がキャッチできるから利用価値も高く、もうお友達感覚でクイズなんかもセッセと応募する私であった。
　そう言えば五月の連休にもクイズがあったっけ。「ＦＭから手紙」ときいた途端、私は思い出した。あの時は確かアルバイトのあゆみちゃんが教えてくれたんだ……。当時のことがつい昨日のように脳裏に浮かぶ。実は彼女、ものスゴイ強運の持ち主で（正確にいえば彼女自身がではなく、まわりの人に運をもたらす！）、なぜか周囲の人が次々と当るらしい。なかには、旅行はタダで行くものともっぱら旅行ネライの友人ＯＬもいるとかで、全くイマドキのちゃっかりＯＬには頭が下がるばかりだ。
　が、そんな話を聞いたせいか、その時はいつになく気合が入り「ヨシッ、私も絶対に当ててやるゾ！」とヒマさえあれば葉書を書いていたのである。彼には呆れられながら。
　私も意外に単純だな、と思い出し笑いをしながら、それでもヒョッとしたらと淡い期待で封筒を受け取る。すでに内心はドキドキだ。ところが、ところがである。手にした封筒は情けないほど軽く、そのあまりの手ごたえのなさに、ふくらみかけていた私の期待は無残にも一瞬にして砕け散る運命に。あーあ。そばの健太は最初から「どうせ番組の宣伝か何かだろう」とバカにして見向きもしない。
　それでも仕方なくノロノロと封を開けると案の定ＦＭの番組表。ヤッパリ宣伝か――。再びガクッ。でも、なぜ速達なの？　次に出てきた大きなパンフレットはどうやらタヒチの観光案内らしい。ソーダ！　私が応募したのはタヒチ旅行プレゼントだ、とまだ半分寝ボケている頭で考える。ということは、よくあるパックツァーの紹介かな、と念のためもう一度封筒の中をのぞいたら、今度はコピー紙が一枚出てきた。ワープロで書かれたいかにもＤＭ風のペラペラ紙。
「この度はＦＭ番組○○プレゼントにご応募いただき……云々」
　お決まりの文句が続く。クイズマニアの私の今までの経験からすると、こういう場合は残念ながら一〇〇％ハズレだ。ガッカリしながらも目だけは一応文面を追っていく。すると、突然、
「ご当選おめでとうございます！！！……」（実際にビックリマークが三つも連らなっていた！）
　と、思いがけない文がとびこんでくるではないか。
「エッ？」一瞬、わが目を疑いあわてて最初から読み直す。それまでの眠気は一気にフッ飛び、もう目はテンだ。当然のごとく何度読み返しても同じなのだが、興奮のあまり自分で自分の目が信じられなくなっている。
　急に私が静かになったので、いつの間にか彼も横からのぞき込んでいた。つぎの瞬間、二人は顔を見合わせると、
「ウッソォみたい。ホントかな、コレ！」
　と、同時に叫んでいた。

（続く）