核の闇市場

「スーツケース大の核爆弾数十個が行方不明に…」（レベジ将軍の証言）。旧ソ連からの核流出の真相に迫った貴重なレポート。核関連施設は今どうなっているのか、研究者・従業員の給料は？　盗み出されたウラン・プルトニウムの量は？　買い手は誰か？　現代国際政治の暗部を照らす。

目次

　　

　　　まえがき

　旧ソ連に関連した核密貿易の調査に着手する以前、わたしは長年にわたって、麻薬売買に関する国際的な闇組織の調査に携わっていた。調べてみてこの二つの間には、大きな違いがあることに驚いた。一例を挙げると、非合法薬物は大衆マーケットで売買され、その末端価格は驚くべき金額になる（ある推定によると、年額で数千億ドルになるといわれている）これにたいして、核物質は盗品か、流出品なのだが、その闇マーケットは非常に限定された狭いもので、首を突っ込みたいと思っても、簡単に商売人が手を出せるものではない。その証拠に、西側もロシア政府も、核物質が、第三者の手に渡ったことの確証を得ていない。麻薬取引の場合には、その中核に麻薬カルテルがあることはよく知られているが、核物質の闇取引には、そのような組織は認められない。しかし、この本で明らかにするように、それは見かけだけのことである。麻薬売人が暴力的で、目だちたがり屋が多いのに反し、核物質の闇商人は、秘密主義で、表に姿を現さず、自分の周辺に痕跡を残さないようにしている。麻薬が社会に与える影響は明白で、継続的なものだが、核物質の秘密取引による実害の大きさはほとんどわかっていない。核物質の闇取引が、西側諸国や国際社会に与える脅威についても、意見が分かれている。しかし、核爆発や核兵器がテロに結びついている以上、リスクがいかに低いものであっても、重大事であるし、絶対無視できない。
　この本のために、調査を行なっている間中、わたしの心の中でわだかまっていた問題があった。今まで報告されている核物質の違法取引事件で取引されている核分裂物質や放射性物質の量は極わずかであり、核兵器を製造できるほどの量ではない。その上、西側諸国での核物質の違法取引事件は一九九〇年代の半ば以降、急激に減少している。とはいえ、摘発された事例で全体を推し量るのは危険である。つまり、こうした核物質の違法取引の底流にあるものは、ロシアや旧ソ連諸国（ソ連崩壊後旧ソ連から独立した諸国）における核関連経済の崩壊、犯罪や汚職の増加、さらに政府による核関連部門の管理の欠如などだが、今でも状況は変わっていないからだ。闇商人たちのやり方がより巧妙になり、完全に隠密裏に取引が行なわれ、その上取引量も中欧や西欧の司法機関が摘発した量以上で、致命的な量に達しているのではないかと思われる。わたしの調査結果から見ても、すでに核の闇市場の組織、ルートは確立されており、その客には、しゃにむに核兵器開発を行なおうとしている、いわゆる違法国家だけでなく、西側よりの国家も含まれていると思われる。ここで提供する証拠についての信頼性については、読者の判断に待つしかない。
　旧ソ連諸国からの核流出防止に失敗した理由は、全体の流れの中で理解する必要がある。米国が提案した核物質の保護と輸出管理プログラムが有効でありかつ必要なものであることには議論の余地がない。だが、管理すべき物質を保有している国での違法な秘密行為を取り締まろうとすると、多くの障害が立ちふさがってくる。麻薬のケースを思い出すべきである。米国が主導権をとって実行した南米の生産国で麻薬撲滅作戦は完全に失敗したといえるだろう。麻薬対策に比べると、旧ソ連諸国からの核物質の密輸出を防止するため、米国が立てた計画はよくできており、きちんと管理されている。（問題はそれを支える資金が不足していることである）市場からの圧力も麻薬ほどではない。それでも、旧ソ連諸国からの核物質の流出を一〇〇パーセント防ぐことを期待することはできない。その結果、米国としては、核物質の盗難や流出を防ぐための手段を強化する一方で、流出してしまった核物質による被害を最小限にする対策も立てる必要がある。
　西側による核拡散防止対策の有効性は究極的には旧ソ連諸国が国内のさまざまな危機を解決し、犯罪を抑制し、核関連企業にたいする監督を強化できるかどうかにかかっているといえよう。（以下略）